
国立アイヌ民族博物館研究員/国立民族学博物館外来研究員 劉高力さん
「英語を話せるようになりたい」と願う人は、日本にたくさんいます。グローバル化が進む今、英語力が進学や就職に影響する場面も少なくありません。しかし、「いくら勉強しても話せない」「言いたいことが出てこない」と感じる人も多いのではないでしょうか。
実は、その原因は英語力そのものではなく、自分の考えを言語化する力、すなわち「母語力」にある場合が少なくありません。
言語は、思考を伝えるための「道具」
英語の学習というと、多くの人は単語帳や文法書、リスニング教材などを思い浮かべるでしょう。しかし、言語とは単なる知識の集積ではなく、「何を伝えたいか」という思考を他者に届けるための道具です。将来言語学を専門にしないのであれば、語学はあくまで「伝える道具」にすぎません。伝えたい中身がなければ、どんなに単語を覚えても言葉は出てきません。
その「伝えたい中身」を形づくるのが、母語による思考力です。たとえば、ある状況を説明するとき、私たちはまず「何を、どんな順序で、どのようなニュアンスで伝えるか」を頭の中で整理します。そのプロセスがうまくいかないと、英語に訳す以前の段階でつまずいてしまうのです。
英語が話せないのではなく、日本語で思考を組み立て、表現する力が未熟である――このようなケースは少なくありません。英語の授業で「自分の意見を書いてください」と言われたとき、そもそも日本語でも意見が出てこない、という経験がある人もいるでしょう。
英語力を高める前に必要なのは、「自分の中に伝えたいことを育てる」ことです。そしてそれは、読解力・論理力・表現力といった母語運用の土台なしには成り立ちません。
英語を使うと人が変わる?
私は2016年、日本で開催されたG7伊勢志摩サミットに、通訳スタッフとして勤務する機会がありました。ある日、関係者を乗せたバスの中で、日本人の若い男性が隣に座っていた外国人スタッフと英語で大きな声で話しているのを見かけました。日本では公共の場では声を抑えるのが一般的なのに、英語を話せるということで、自分が別人になったかのような姿に、私は少し違和感を覚えました。
こんな出来事もありました。ある日本人の若手研究者が、私が外国人であることを知って、とても丁寧な英語のメールを送ってきました。署名には、彼自身の下の名前が記されていましたから、私は、その名前をそのまま使って「日本語でも大丈夫です」と、返信しました。すると彼の態度は一変。「軽々しく名前を呼ばず、姓で呼んでください」と返ってきたのです。相手の中で「英語を話す外国人」と、「日本語を使う他者」への態度が、無意識のうちに切り替わったように私は感じました。
この2つの出来事は、英語と日本語とが入れ替わる中で、人との距離感や礼節の基準、さらには自己認識までもが変わってしまうことを、改めて私に教えてくれました。
言葉とは、「相手のように考える」ためではなく、「相手を理解し、自分の考えを別の言語で伝える」ための手段です。英語を話すからといって、自分の文化や人格まで変える必要はありません。むしろ、自分自身の言葉や価値観をしっかりと持ったうえで他者と向き合うことが、本当のコミュニケーションの出発点なのです。

文化と言葉を、誇りをもって伝える
私は現在、日本の国立博物館で、外国語翻訳と展示解説の仕事に携わっています。そこで私は、「日本語をそのまま提示する」ことを心がけています。たとえば「着物」のような日本文化に根ざした言葉は、まずローマ字で kimono と表記し、その後に英語で意味や背景を説明するようにしています。音そのものを伝えることで、来館者に日本語の響きや文化の輪郭を感じてもらいたいと考えているからです。
言葉をそのままの形で提示することは、自らの文化への敬意であり、同時に自信の表れでもあります。自分たちの言葉を堂々と提示すること。それが、他者に文化を理解してもらう第一歩であり、同時に自分たちの文化への誇りを示すことにもつながります。
私がかつて中国の大学で外国語を学んでいた頃、よく耳にした言葉があります。
それは、「外国語を学びたければ、まず自分の国を理解すること」。そして、「外国語を学び、よい中国人になろう」というものです。
これは、日本語を母語とする皆さんにも通じるのではないでしょうか。
英語を学ぶことは、確かに世界を広げることです。しかし、その出発点には、いつも「自分」がいなければなりません。自分の文化を知り、美しい日本語を身につけ、自分の考えを持つ。――その力があってこそ、英語は初めて「使える言葉」になるのです。
劉高力
国立アイヌ民族博物館研究員/国立民族学博物館外来研究員
北京市生まれ。北京大学修士卒、2014年日本へ留学。